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最終更新日:2019年10月28日

2016年7月24日

「沙耶の唄」が示すものとは?

以前、Twitter上で見かけたゲーム関連の案件(注)の流れで、「沙耶の唄」について話していた人がいました。その人は「沙耶の唄」のことを「外見で判断しない恋愛を描いている」と思っていたようです(そしてやはり他の人にツッコまれていた)。私はそれを見てかなり疑問を感じたので、この作品に関する私の考えを書きたいと思います。


※注 事の発端はある人が「男性向けエロゲーは女性にマウンティングするようなのばかり」という意見をツイートし、それに対抗したい人が、「愛のあるセックスを描いた作品」として挙げたのが明らかにヤバイ内容で総ツッコミされたことです。私はこのとき特に発言していませんが、いろいろ思うところはあるので、今後ブログの中でおいおい触れていきたいと思います。

沙耶の唄」は、2003年が初出のニトロプラスの18禁ADVゲームです。私は当時にプレイ済みで、さすがはニトロプラスらしい面白い作品だったと思います。

簡単にあらすじを紹介すると、事故に遭って脳に異常をきたした主人公が、まわりの物が全て気持ち悪く見えるようになってしまったところ(人間も化け物に見える)、唯一まともに見える可愛い少女に出会って、彼女と暮らすようになり…という、SFサスペンスホラーです。

しかしながら、この作品で「外見で判断しない恋愛」と言えるのは、最初から沙耶が本当の姿でしか見えなかった場合に限られるのではないでしょうか。沙耶が可愛い少女の姿に見えなかった場合、主人公が彼女に対して同じように接することができたかは疑わしいです。実際、主人公は化け物の姿に見えるようになった友人たちを嫌っていました。(私はそれで主人公を非難する気はありません。人間としてごく自然な反応と思います。)

「外見で判断しない恋愛」という枠組みで見た場合、沙耶の唄がそぐわないのは、有名なおとぎ話の「美女と野獣」と逆の構成をとっているところです。「美女と野獣」は、最初から恐ろしい姿の野獣にヒロインが愛情を抱くところが肝であり、野獣が王子の姿を取り戻すのは物語の最後です。野獣が最初から王子の姿だったとしたら、そもそも話が成り立ちません。

もちろん愛情を育んだ後に、相手が化け物になったとしても気持ちを変えないでいられることは、また別の語るべきテーマだと思いますが(沙耶の唄で描かれているのはどちらかというとこちらで、これは日本の民話などにもよく見られます)、「美女と野獣」型の物語と比べて、「外見で判断しない恋愛」と主張するには少し弱いと私は感じます。

途中分岐で主人公の脳を直してのお別れエンドも、この観点から見ると相反すると思います。本来沙耶自身は何も変わっていないのに(少女の姿は彼女が擬態していたわけじゃないので)、まともに戻った主人公には自分が化け物に見えることをわかってて、あえて彼を人間の世界へ戻すために身を引く行動が切ないですね。あのエンドでは主人公に対する愛情と同時に、本当の姿を見た主人公に拒絶されることへの恐れも感じられます。また、あそこの選択肢で沙耶と共に生きる選択をする場面ではあくまで沙耶は可愛い少女のままである一方、化け物の姿でのお別れエンドの際には一切主人公の目の前に現れないという演出も、若干(作者側が)卑怯に思えなくもないです。そういったことも含めて、あの作品でクローズアップされるべきは、主人公よりも沙耶の方の愛情の深さじゃないでしょうか。

私個人が考えるに、「沙耶の唄」の主題とは、外見云々というより「孤独な者どうしが惹かれあって、自分たちだけの世界を作って生きていく」ことの悲哀と、破滅の美学みたいなものではないかと思います。その相手が宇宙人だったという話で。

というか、「愛のあるセックス」がどうのと言っていた話題の流れで、何故ゆえこんな特殊なジャンルの作品が出てきたのかが疑問です(グロ描写もあるのでPC版はフィルター機能もついていた)。それに沙耶の唄は、冒頭に書いた通り元々かなり昔の作品ですよね。(Androidに移植されて新しく知る人が出てきたのだと思いますが。)繰り返しますが、あの作品は面白いと思うけれども、そういう話題で進んで挙げるべきものじゃないでしょう…。どうしてもっと一般的なわかりやすい作品を出さなかったんだ…。

無論、創作物は見る人がそれぞれいろんな解釈をしてなんぼですし、自分一人ならどんなふうに考えるのも自由です。上に述べたことも、私個人の解釈にしかすぎません。ただ、議論の中で取り上げるのであれば、他の人が納得できる論理が必要ではないでしょうか。

※それにしても、プレイしてから10年以上経つのに、「沙耶の唄」については私も未だによく覚えていることから、やはりこの作品はインパクトの強い佳作だと言わざるを得ません。

根本的な話になりますが、そもそもキャラがほぼ全て美少女の男性向け18禁ゲームで外見云々といった主張をしようとすること自体、難しい気がします。TVの実写ドラマでもあるように、どう見ても素で美人な女優さんが地味でモテない女性の役柄を演じても、説得力に欠けるのと同じです。(そういう点を馬鹿にして言っているのではありません。むしろオール美少女を相手にする願望を叶えるのが、恋愛ゲームの目的の1つだと思います。)

もし、「外見で判断しない恋愛」というテーマをゲームで本気で語るなら、「クリーチャーと恋しよっ!」くらい持ってこないといけないでしょう。上級者向けすぎると言う人には、エルフの「同級生2」や「下級生2」、コナミの「パワプロクンポケット」シリーズもあります。(出す例がまた古くてすみませんが、最近の作品は知らないもので…。)

あと、件の案件の流れで他に挙げられていたらしいKey作品(正確にはTacticsの「ONE」以降の同スタッフの作品)も、指摘されていたように、あれはあれで問題があるのですよね。ONEについては昔相当に議論されましたし、私自身も長い考察文を書いたことがありました。Key作品は、人によっては問題点に全く気付かないほどクオリティが高いところが功罪だと感じます。なので、私個人は一歩引いた見方をしていますが、そのうちこのブログでも取り上げたいと思います。

さて、では「男性向けエロゲーは女性にマウンティングするようなのばかりか?」という問いに対して、一部のゲームが確かにそうであることは事実です。それは否定できません。(ある意味、それが18禁ゲームの存在目的のひとつと言えるでしょう。)実際にどの程度の割合かは、月に何十本も発売されるゲームを全て調査しなくては正確なデータはわかりません。(表現規制に関する実態調査に有効でしょうから、誰か専門家がやってほしいです。)しかし、案件で論じられていた「不幸な女の子を支配下に置く」設定のゲームで、その行為自体を現実に肯定することはもちろんないとしても、語る余地のある作品は存在すると私は思います。最近また次々と恐ろしい事件が起こっているために、よけいにこのモチーフについての考察はきちんと真摯に書くべきではないかと考えます。

それについては、後の記事で何回か分けて書く予定です。