そもそもギャルゲーの元祖「プリンセスメーカー」(ガイナックス)からして、孤児の少女を引き取る設定ですし、しかもいかがわしいバイトをさせたり(今考えると完全に虐待)、自分と結婚するエンディングもちゃっかりあったりします。
元祖でさえこうなのだから、後続のゲームは言わずもがなでしょう。そして、そういったゲームが人気があるということは、少なくとも日本社会で育った多くの異性愛者男性にとっては、わりとよくあると言っていい内心の願望なのではないかと思います。(別にオタクじゃなくても、若い愛人を囲うおっさんは珍しくないし。)
ここで私が取り上げたいのは、タイトルからして「プリンセスメーカー」のパロディである18禁作品「ドーターメーカー」(2003年ふぉ~ちゅん♪)です。シナリオ監修が「家族計画」(D.O.)の山田一氏だけあって、女の子を引き取る設定のゲームの中でも一味違う内容になっています。(すでにメーカーサイトがなくなっているようなので、例によってInternet Archive経由のリンクです。)
物語のあらましは、会社員の主人公が、上司のシングルマザーの恋人を過労死で亡くし、彼女の娘を引き取って暮らすことになるというものです。死んだ恋人の面影のある娘につい手を出してしまった主人公を、意外にも娘は受け入れますが、実はそれは捨て身の復讐の始まりでした。という、サスペンスの入った内容です。
女の子を自分の支配下に置く設定のゲームも含めた、鬼畜系と言われるゲームの主旨のひとつは、相手を選択肢のない状態にして自主的に受け入れざるを得ない形に追い込むことだと、私は認識しています。(エルフの「臭作」「鬼作」などは、明確にそれが目的になっています。)「ドーターメーカー」が異色なのは、この点において娘側が選択肢を持っていることです。娘に手を出した主人公は調子に乗って彼女の体に溺れていってしまいますが、彼は彼女の選択によってその報いを受けることになります。娘が最後に家を出ていった後、戻ってくるかどうかはパラメーターに依存しますが、戻ってこない場合も彼女がその後も自力で生きていくことを表現したエンディングになっています。
「自分の意志で自由に選べる選択肢を持つ」ことは、人間として重要な事柄です。選択肢を奪うことは、その人の意志に関係なく思い通りに支配するための手段であり、つまり「相手を選択肢のない状態にして自主的に受け入れざるを得ない形に追い込む」ことは、相手を人間として扱うつもりがないということです(たとえ奪う側が好意的な気持ちでやっていたとしても)。冒頭に書いたように、これがこの行為が「重大な人権侵害」になる理由であり、こうしたモチーフのゲームが「鬼畜系」に分類されるゆえんなのです。そしてこれは、現実でもDVや虐待、ブラック企業などの根源となっています。(貧困に苦しむ若者が軍隊に入ることを選ばざるを得ない「経済的徴兵制」も、同じ図式です。)
従って、「女の子を自分の支配下に置く」モチーフを純粋に楽しみたい人にとっては、「ドーターメーカー」は不満のある内容ではないかと思います。しかし、18禁ゲームでは単純に鬼畜な方向になりがちなのを、こういう内容にしてきたところに山田一氏の工夫を感じます。なお、続編の「ドーターメーカー2」(2005年高屋敷開発)でも引き続き独特なストーリーが描かれています。(こちらはDL販売サイトのリンクですが、まとまった紹介がされています。)
言うまでもないことですが、現実でこのような関係において、未成年の女の子が年上の男性に対して自分の選択肢を持てるケースはほとんどありません。性暴力の被害にあった人々がやっと声を上げても、よってたかって誹謗中傷されるような世の中です。それ自体がその人たちに人権が認められていないという十分な証明であり、そういう意味では「ドーターメーカー」も、そうあってほしい加害者側の願望を反映していると言えるでしょう。架空の娯楽は、架空だからこそ許されるという当たり前のことを、常に忘れないでいたいものです。(現実の被害者に二次加害する人の中にこういう創作物を愛好する人達がいるのは由々しき事態ですが、それはまたの機会に掘り下げたいと思います。)
※「自分より弱い立場の女性を支配下に置く」モチーフについては、さらに他の作品を題材にして語る予定です。