携帯機の利点を生かした、プレイヤーとのリアルタイムのやりとりを特色としたゲームは「たまごっち」やPSの「どこでもいっしょ」あたりから始まり、コナミの「ラブプラス」やガストの「シェルノサージュ」みたいに、女の子とコミュニケーションする作品も近年登場するようになりました。
しかし、据え置き機で無謀にもこのコンセプトを取り入れたゲームが存在します。それがセガサターンの「ルームメイト~井上涼子~」(データム・ポリスター)です。据え置きでリアルタイムのアクセスを要求するというゲームデザインに加え、当時のサターンの水準からしても貧弱なグラフィックで、時代を先取りしすぎた感が最後までありましたが、私はなんだかんだ言いつつ三部作を全てプレイした上、DC版と派生作品の「ルームメイトW」までやってしまいました。三部作だったことを知らない人もいるかと思いますが、ここまで長期間にわたって独特なコンセプトのオリジナルキャラを推し続けたデータム・ポリスターのチャレンジ精神には、もはや感心するものがあります。(残念ながら現在はすでに活動を休止している模様。)
※ちなみにPS版も発売されましたが、そちらはポケットステーション必須というこだわり。DC版ではリアルタイム操作がなくなったかわりに、一日ごとにタイトル画面に戻されるという仕様でした(笑)。
オリジナルのサターン版「ルームメイト」は、転勤で家族がアメリカに行くことになり、高校二年生の涼子ちゃんが反発し、父親の知人の家を頼って、その家の息子(主人公)と同居することになるという設定です。名前・年齢は自由に決められます。(今になると、もう正直に自分の年齢を入力するのは気が引けますね…。)こまめにアクセスして、涼子ちゃんときちんとコミュニケーションをとっていけば、最後に両想いになれます。ちなみに私は、当時プレイ途中でセーブデータが飛んでしまったため、結局ズルをして(サターンの内蔵時計をいじって)クリアしてしまいました。
この記事を書くにあたり、久し振りにゲームを起動してみたのですが、私はDC版の冒頭でもうそれ以上進めたくなくなってしまいました。DC版はリメイクされていて、主人公が大学浪人生という設定になり、ストーリーが一新されています。主人公は一家で留守にしている井上家の管理人兼居候として住むことになるのですが、そこに涼子ちゃんだけが突然帰ってくるという出だしです。
が、DC版の主人公は写真で見た涼子ちゃんに一目ぼれした設定らしく、一緒に暮らすことについて非常に自意識過剰な発言をしていたり(端から見ると率直に言ってキモい)、涼子ちゃんが自分の家なのに妙に下手に出ていたりして、サターン版と比べてあまりにも都合が良すぎる変更をされているのに閉口し、続けてプレイする気になれませんでした。以前のプレイ時はそんなに気にしなかったと思うのですが、やっぱり歳をとったのと、サージュコンチェルトをプレイした影響で自分の感覚が大きく変わったのを感じます。
サターン版では主人公と涼子ちゃんの関係はもっとあっさりしていて、涼子ちゃんも居候側なのになぜか強気なところが、逆に安心して見ていられます。実際のところ、ゲームの大半は涼子ちゃんと他愛のないお喋りをするだけで、そこが良さだったのだと個人的に思います。後年シェルノサージュをプレイした時に感じた、日常のなんでもない会話でのほのかな懐かしさは、ひょっとしてこれだったのかもしれません。(シェルノサージュについては、関連リンクの別ブログをご参照ください。)
テニス部で英語が好きで、ハーブを育てたり散歩が趣味だったり、設定としてはいかにもギャルゲーらしい理想的な要素を持った涼子ちゃんですが、ゲーム中では最初から主人公に好意を持っているわけではないため、媚びをあまり感じない演出が新鮮に感じました。(2作目以降は両想い前提なので違ってきますが。)私個人は自分が苦労しなさすぎな内容は好まないので、そこを気に入っていたのですが、物足りないと捉えるプレイヤーもいたと思いますし、それを受けてのDC版のリメイクだったのかもしれません。
※ルームメイトでも、私のブログのような詳細なプレイ記録を書いていたファンの人がいます。私がシェルノサージュをプレイした時と同じように、涼子ちゃんに思い入れを持っていたのでしょうね。小説も出ていましたし、今は懐かしいテレフォンサービスの企画もあったりして、涼子ちゃんの熱烈なファンは確かにいたのだと思います。
最近は技術の進歩とともに、こうした架空の存在とのコミュニケーションをシミュレーションする表現も、どんどん現実に近づいていると感じています。稚拙だったかもしれないけれど、「ルームメイト」もその歴史の中に確実に存在する、将来の可能性を示唆した作品だったと言えるでしょう。